Takashi Kobayashi 小林 崇(コバヤシ タカシ)

2014/06/29
by up cycle

【“遊び”が世界を変えていく】

インタビュー/写真 福井香菜子>(カメラ PENTAX 67

 

FEATURES】第8回目は、日本のツリーハウスの第一人者として知られるツリーハウスクリエーター小林崇さん(こばさん)がまたひとつ、新しい木の上の秘密基地を作った。場所は熱海、星野リゾート。国内外ですでに120戸あまりあるという、こばさんのツリーハウスは、ひとつとして同じものはなくて、それは毎回こばさんがその場所と木との出会いを何よりも大切にしているからなんだと思う。今回、熱海でこばさんはどんな木と出会い、対話したんだろう?完成したばかりのツリーハウスを見に行った。

 

 

【圧倒的な、クスノキ。】 

 

樹齢400年を越える大きな大きなクスノキ。そこにツタが這うように階段がぐるりと回っていて、頂上近くに小さな部屋が乗っかっている。「今回は、この木がとにかく圧倒的だったから、自然の持っているデザイン、ラインに、できるだけ近づきたいと思っていて、この木で覆ってしまいたいと思っていたんだ」

                   

ステンドグラスの窓、滑らかな曲線の座り心地がいい部屋の中で「なんでも聞いて良いよ、大丈夫」と、こばさん。

 

 

[作ったものが、いつか自然の中へ消え入る]

 

 

「木の上は、街の暮らしや社会での役割から離れてボーッとできる場所。震災後は特に “house” じゃなくて “nest(巣)” を求めているような気がする。“house” は、何かあったら終わりじゃない?もう、“箱” ではなくて、人間は繭とか子宮とか巣に戻りたいのかなぁと思っている。。ツリーハウスは木だから、寿命は短いし、いつまでも残るものではない。いつか壊れて、あとかたも無くなっちゃう。今の僕のツリーハウスは鉄筋も使っているけれど、それ以外は壊れて朽ちて、地に戻る。最終的にはすべてそういう素材がいい。壊れたら、また作りましょうっていうのがいい」

 

 

 

世間で言われる、もっと頑丈な家を!負けない家を!の方向では限界がきてしまうかもしれない。役目を終えたら土に還し、また作るという柔軟なサイクルができたら、それこそが一番強い家だ。

 

「いわゆる“デザイン”ではないんだよね。学校で学ぶことではない部分で、頭や手が動いていく。一緒に作る仲間に手伝ってもらいながら、例えばこうやって日の光が入ってくるだとか、ステンドグラスのリフレクションだとか、ああ、綺麗だなぁと思うものをその場で受けて出していく。こうしなければならないというルールもあんまりないんだ」

 

刻々とツリーハウスに射す光が変わっていくなかで、ずっと木の良い匂いがしている。「ここは、楠と檜の匂いがするでしょう?これはここの自然の匂い。僕の理想は、自分たちのしていることが自然に消え入っていくこと。自然、そして木が主役になること。今回匂いに関しては少し、できたかもしれない」

 

 

 

[ムダなことをしてるから、世界はOK。]

 

 

「風もあるし、揺れるし、わざわざ木の上に家作らないでしょ、衣食住の住ではなくて必要のないものなんだよね。“家” は必要なものかもしれないけれど、ツリーハウスなんて無くても良いわけ。でもそういう無駄なことしてるから世界はOKっていうか、スキマが大事なんだろうな。世の中がどんどんそうではなくなっていくなかで、1•2人くらいそんなことに一生懸命になってる人がいても良いんじゃないか。僕にとっては、生きている木の上に巣を作ることっていうのはたまらないこと、すごくワクワクすることなんだ。結局、遊んでるんだよね(笑)会社とか仕事とか、月末とか。大変なこともいっぱいあるけれど、ここにいると頭のコリを取ってくれるんだ。ある意味、情緒不安定になりがちというか、生になっちゃう。怒りも喜びも、街にいるときに知らず知らずのうちに押えているものを、感じやすくしてくれる。人間をハイにする力を、森や木は持っているというのは20年やってて確実にわかるんだ。人間のDNAのなかに2足歩行になる前の森にいた記憶があるのかもしれない」

 

 

 [こばさんとツリーハウス 20年前]

 

 

「元々は木の上に家をつくっているっていう生活に憧れたの。日常の中にそういうことが入っているライフスタイルに憧れた。当時、日本のなかに居場所がないと感じていて、ツリーハウスの持つエスケープ感にただファンになったんだ」

その後、アメリカのツリーハウスビルダー、ピーターネルソン氏との出会いからオレゴン州で開催される“ワールドツリーハウスカンファレンズ”(現“グローバルツリーハウスシンポジウム”)の第1回目から参加するようになる。

「開催地のオレゴンの森は、巨木の森で、ジャイアントセコイアや、メタセコイアなど、100m級の木がたくさんあるところで、きれいな川が流れていて特別な場所なんだ。当時はラフな奴の集まりで、60年代のフラワームーブメント、ヒッピーカルチャーそのまんまみたいな感じで、バスで移動しながら住んでたり、ティピに住んだりする人たちばかりで、彼らと過ごすなかで、この時自分が日本で見つけられなかったもの、感じていた違和感みたいなものが全部とけた気がして。そのバックボーンと一体になって“ツリーハウス”ってものがずぼんって入ってきたんだ」

 

それから毎年イベントに参加しながらも、日本ではツリーハウスでお金を稼げるわけでもなく、まだ依頼者もいない、場所も技術もないという時期があったそうだ。そんな中、森を持っている人を紹介され、そこにツリーハウスを作ることになった。「当時、恥をかくのはちっとも嫌じゃなかった」とこばさんは言う。技術はやりながら学んだ。それから人がなんとなく人が集まってくるようになった。そのうち、パタゴニアでトークショーをしたり、ネスカフェゴールドブレンドのCMにツリーハウスが出ることによって名が知られるようになった。

 

「日本には僕よりマニアックな人がいなかったし、何かあれば話がくるようになった。30代半ばくらいから、どんどん社会的にもなってきてフィールドも広がってきた。三井のアウトレットモールや、障害を持った子供たちのためのバリアフリーのツリーハウスなど、気がついたら、今回は相手が星野リゾートだったんだ。あぁ、建物ってこういうしくみなんだ、とか法律ってこうなんだって今でも新しい発見があるよ」

 

 

 

[ツリーハウスを通じて、伝わるスピリット]

 

 

「21世紀になるまえの、システムができる前の選択肢がいっぱいあった頃の世界に憧れているのかも。今もそうかもしれない。スキルもバックボーンもなかった僕みたいな奴でも、ずーっと続けていたらこんな風になるかもよ。何か物事を決めるとき、大人になるために培ってきちゃったスキルや生き方のテクニックじゃないところで判断することができたら、原発なんて選ばないと思うしそういうことが次世代のみんなに伝わったら良いとおもうよ」

 

こばさんはツリーハウスという“遊び”から正しいと思うこと、大切なことを伝えてくれる。本気で遊んでるから、私たちにも伝わってくる。最近では、ツリーハウス発祥の地、アメリカや海外でもこばさんの作品は人気があるそうだ。

「アメリカでは、プライベートであればツリーハウスに住んでも良いという法律があって、そういう場所のツリーハウスはもっと、キッチンがあって、シャワーがあって、と実用的なんだ。それはそれで建物としてかっこいいし、機能的なのだけれど、僕の場合は住居というところから解放されたフィールドでやっているから、彼らにとってはミステリアスで、オリエンタルに見えるらしい。技術よりもそのスピリットを学びたいと言ってきてくれるんだ」

 

 

 

 

UPCYCLE 新プロジェクト]

 

 

 

現在、こばさんとUPCYCLEで企画中なのが、ツリーハウス作りなどで出た“あまり”の木材を使ってこばさん作ミニチュアツリーハウスや、自分で作れるミニチュアツリーハウスの手づくりキットを製作しようというもの。

「今、作業で出たあまりの木材っていうのは産業廃棄物になってしまうんだ。昔は焚き火したりお風呂屋さんに売ったりできたんだけどね。残った木材にも素敵なものがたくさんあるし、本物のツリーハウスに来られない人たちが、都会に住んでいても、手触りがわかって夢を馳せることができるものができたら良いと思っている」

 

国土の約70%が森林で、世界有数の森林国である日本。こばさんのミニチュアツリーハウスから、その先にある大きな森や木がみえるだろう。

 

 

 

 

児玉奈央(ミュージシャン)× 桜井由佳(Wool,Cube,Wool!! )

2014/04/15
by up cycle

[ お母さんになる女の子たちへ ]

インタビュー/写真 福井香菜子>(カメラ PENTAX 67

 

FEATURES】第7回目は、10月に2人目の赤ちゃんが生まれたばかりのミュージシャン児玉奈央さんと、ビビットでスパイシーな小物やアクセサリーで女の子の心をくすぐるデザインユニット“wool,cube,wool!”がママのための[母子手帳ケース]と[授乳ケープ]をつくりました。どちらも一見子育てグッズに見えない?お洒落なデザイン。販売が始まるUPCYCLEMARKETのshowroomにて、児玉奈央さんと“wool,cube,wool!”の桜井由佳さんに商品に対してのお話を伺いました。

 

 

【気分が上がる子育てグッズ】

 

 元々お友達だった二人が、今回作ることになったきっかけは奈央さんのひらめきだったそう。

(児玉さん)「赤ちゃんの定期健診に行くバスの中で、母子手帳ケースがもっと可愛ければ良いのにってふと思ったんです。母子手帳って、使う機会がすごく多いもので、妊婦の時から生まれてからも結構使う、みんなの前に出す機会も多いものなんですね。そのとき私は母子手帳をジップロックに入れてたんですけど(笑)なんか良いのないかなぁって探してはいたんですが、デザインが甘すぎたりかわいらしすぎてちょっと持ちたくないなぁというものばかりで、だったらユカちゃんに作ってもらおう!って。だから、始めは商品にするつもりじゃなくて自分が欲しいっていうのでお願いしました。」

 

(桜井さん)「まず最初にナオちゃんからの要望を伝えてもらって、素材や組み合わせを提案し進めていきました。ナオちゃんからから相談を受けなかったら作っていなかったし、一緒に作ったという感覚ですね。」商品になった今でも[母子手帳ケース]は由佳さんがひとつひとつ手づくりしている。母子手帳だけでなく診察券などが入るポケットもたくさんついていて、母子手帳を使う時期が終わってもパスポート入れなど

使い道がいろいろありそうな作りになっている。

             

もうひとつの商品[授乳ケープ]は、首に巻いたりストールとしても使える妊婦さんじゃなくても欲しくなるようなデザイン。ポンチョ型なので、首穴から赤ちゃんを覗けるなど機能的にも沢山のこだわりがみえる。

                      

(桜井さん)「ナオちゃんや、赤ちゃんのいる友達の話を聞いて作りました。例えば普通の授乳ケープだと腰が出てしまうのが気になるという意見があったので大判にしたり、赤ちゃんに触れても安心なリネンやコットンジャージ素材を選んだり、くるくるっと丸めてコンパクトになるようにシンプルなデザインにしたり。とても参考になりました。

                       

(児玉さん)「授乳期が終わってからもママが使えるものが良いね、と話していました。授乳ケープも母子手帳ケースと同じで、気に入るものがなかなかないんですよ。私自身も授乳ケープって使ったことがなかったんですが、どうしてかというと、気に入るものがなかなかないから。でも実際使ってみたらものすごい便利なんです。そういう、気に入るものがなかなかないから持っていなかったっていうママたちに使ってもらいたい」

 
 
 

気に入るものがなかなかない=使わない、買わない】

 

 子育てグッズは機能的だけれど気に入るものがなかなかない、野暮ったいというイメージがあって、買わない、使っていないというお母さんたちは多いのではないだろうか。便利だけど使いたくない、持ちたくないものたちを機能性は大切にしたまま、お洒落にかわいくすることによってもの自体のイメージを変えて、持ってて嬉しい、気分が上がるものにする、普段も使いたい子育てグッズにすることは、そのものの価値を上げるupcycleと言えるかもしれない。

                 

(児玉さん)「今まで自分の持ちものにこだわって生きてきた女の子たちがママになることで急に、ものの選択肢がなくなったり忙しさで、ま、いっかって納得していないものを買うとか、自分もそのまま、いっかで買ったものについ染められてしまいそうなのが嫌だったんです。そうじゃなくて“これしかないでしょ!”ってちゃんと気に入るもので持ちものをそろえていきたい、そういうこだわりを持っているママたちに見てもらいたいですね」

 
 
 

【とてもしあわせなこと と 大変なこと】

 

 

(児玉さん)「子供が生まれる=幸せっていうイメージが一般的にあるなかで、ママたちは“実はつらくて、”って言いづらい風潮があると思います。でも私自身、一人目の産後は結構いっぱいいっぱいでしんどかったんですね。今まで外に出ている時間が多い生活だったのが、ずっと家で世話しなきゃいけないとか、特に一人目の子はずっと泣いていたし、眠れないしで体的にも精神的にも保つのが大変でした。ママ同士で集まって話していると泣いてしまうお母さんもいるくらい。仕事をしているお母さんは特に、一人では大変です。ちょっと距離をおいて見ることができれば、産後ってものすごい幸せで、赤ちゃんも可愛い時期なんですけど、客観的に見るのが難しくなってしまう。その時期をちゃんと楽しめるようなことができればなーと考えていて、持ちものでテンション上げてくというか、外に出かけたくなるようなものを持ちたいですよね」

                    

赤ちゃんのためだけではなくて、ママのための子育てグッズたち。お気に入りの服や小物、アクセサリーを付けたときのちょっと足どりが軽くなってウキウキする気持ちは、女の子なら誰でも知ってること。それは赤ちゃんを産んだママも同じだ。

 

 

 

【かけがえなくて愛しい時期】

(児玉さん)「今子育てでつらい思いをしてるお母さんがいたら、その時期は必ず終わるからと言ってあげたい。赤ちゃんがいつまでたっても泣き止まなかったり、眠れなかったりでどうして良いかわからなくなってしまっても、過ぎてしまうと涙が出るくらい愛おしい時間でもあったなって懐かしく思えるから、それは必ず終わると伝えてあげたいな。」

今、二人目を産んで子育てが楽しくて幸せです!と言い切る奈央さんの隣で、happyでウキウキするようなwool,cube,wool!の母子手帳ケースがキラキラ光っていた。

 

 

 

児玉奈央(ミュージシャン)× 桜井由佳(Wool,Cube,Wool!! )

 

 

 

【wool,cube,wool !】

 桜井由佳と松林知恵子からなるデザインユニット。バックやアクセサリーなどの服飾小物を中心にジャンルにとらわれない色々なモノづくりに挑戦しています。様々な要素を組み合わせて、コラージュ感覚でつくるモノづくりが得意です。1998年に初めて展覧会「wool,cube,wool!」を開催。四角い形のウールのバックをいっぱい作って展示しました。その展覧会がきっかけでブランドができたのと、タイトルの評判よかったのでそのままブランド名にしました。現在の活動は服飾小物のデザイン、制作のほか、雑誌や書籍でのメーキングやコラージュによるデザイン、ワークショップなど多方面にわたっています。

 

 

 【児玉奈央】

 2005年唄とマンドリン、ギターからなるacoustic unit ”YoLeYoLe”を結成。湘南を拠点に全国の野外イベントやカフェ等数多くのライブツアーを行い、各地で人気を得る。

 

20091st Solo AlbumMAKER(Tuff Beats) を、20102nd Album

 

SPARK(FlyingStar Records) をリリース。20117月 "児玉奈央と青柳拓次名義で、カバーアルバム『Family Songs』(FlyingStar Records)を発売。 20134月永野亮プロデュースによるミニアルバム『MAGIC HOUR』をライブ会場限定でリリース。現在ソロでの活動を中心に、Fuji Rock FestivalRock On The Rockなどの野外フェスに多数出演。ハナレグミ 5th Album『オアシス』にコーラスで参加、冨田ラボ4th AlbumJoyous』(初回限定盤)に「いつもどこでも feats.児玉奈央」が収録されるなど、実力派アーティストとの共演も多い。最近では、花王リセッシュ、キューピードレッシング、コカ・コーラなどのCMソングの歌唱でも活躍している。

 

 ■    児玉奈央 Official website http://naoecho.com/

 

 

 

 

商品ページ

 

【wool,cube,wool !!】× 【児玉奈央】授乳ケープ コットン

 
 

マイク眞木( ミュージシャン・俳優 )

2014/01/29
by up cycle

【マイク眞木さん流UPCYCLE

                                                                                                                          (インタビュー/写真 福井香菜子)

 

 

FEATURES】第4回目は、ミュージシャンや俳優として第一線で活躍し続けるマイク眞木さんに登場ていただきました。マイク眞木さんは、物作りの達人としても知られています。千葉県のご自宅のを始め、ボートを置く小屋、楽器、インテリア雑貨などこれまで様々な物を作られてきたそうです。回は、マイク眞木さんの物作りに対する考え方を中心にお話を伺いました。                                      by スタッフ)   

                                                                                                                                                                                   

  

 

マイクさんの東京 赤坂のご自宅を訪ねた。ここはマイクさんの生まれ育った一軒家だ。昔は平屋だったそうだが、今は改築して2階建てになっている。普段着のマイクさんがやわらかい笑顔で出迎えてくれた。家中に、てづくりの楽器、ランプ、船の模型などが並んでいて、赤坂のビジネス街とは思えないさわやかな雰囲気がただよう。

 

 

【東京でアウトドア マイクさんの少年時代】

 

 

「舞台美術家で、絵描きの父親と一緒に、小さい頃から模型の飛行機を作ったり船を作って近くの池に浮かべたり、凧を作って揚げたり。昔はこの辺でもそういう事ができたんだね、東京で結構アウトドアしてたんだ。父親は明治生まれだったけど、スキーをやったりゴルフをやったり山に登ったり、音もやってたし、今思うとイッちゃってる人だった(笑)その父親の影響は大きいね」

 

その後、中学高校とラグビー、大学ではバンドマンと、活動の幅を広げながらもいつもかたわらにはものづくりがあったそうだ。

 

「ペンキを塗ったり、時計やラジオを分解したり、模型を作ったり、何かしら常にやってたね。それで、大学では父親の勧めもあって特撮映画の方に進もうと思っていたんだ。TBSの裏方のアルバイトで、模型を作ったりして、そのまま裏方で就職でもするのかなーって考えていた」

 

 

【ミュージシャンとしてのマイクさん】 

 

 

そんな時、バンドの先輩から頼まれて仮歌で録音したデモテープが[バラが咲いた]だった。

 

「ちょっとレコーディング手伝ってよ、って言われて仮歌で録音したのがそのまま僕でいく事になっちゃって、大学2年の時にいきなりデビューしたんだ。もう、それからは何がどうなってるのか急に忙しくなっちゃって大学にも行ってられないし、ギター片手にとにかくあっちこっちライブに行って、歌手としての[マイク眞木]っていうのが自分からはなれてどんどん行ってしまう感覚だった。だから、最初は自分の意志で歌手になった訳じゃないんだ。今は、自分のやりたい事と違うけど、来年にはみんなきっと忘れてる、1年経ったらまた特撮の裏方に戻るんだろう、これは一時的な現象だろうと思っていたんだ」

 

マイクさんの話しぶりからは、そんな人生の転機でも自然にまかせ、受け入れるスタンスが感じられる。そして今でも、ミュージシャンとしてのマイク眞木さんがいる。

 

「音楽って、いつまでも完成することがなくてその瞬間にどんどん消えていってしまうし、その場の間(ま)みたいなものが一番大切。そこが面白くて好きなんだ。だから今でもライブの時、あまりいろんな事を決めずにステージで反応を見たりしながらやっている。その間(ま)っていうのがいわゆるセンスなのかもしれないけれど、だから、音楽をやるのに音楽だけを勉強するっていうのは僕はちょっと違って、俳優業もそうだし、アメリカに居る時は庭師やったりガイドやったりいろんなところから音楽は学べるんだよね」

 

 

 

 

【マイクさんとアメリカの文化】

 

 

マイクさんの少年時代、戦争に負けた日本にアメリカ文化が一気に入ってきた。

 

「この家の近所の通りを、ハーレーや車、馬でアメリカ人が上陸してきたんだ。やられたって思いと、これじゃ、日本負けるよなって思った。それまでは、かまぼこ板使って船とか作ったりしてたのが、プラモデルが入ってきたときは、衝撃受けちゃって、完全にハマっちゃった。だから、底辺にあるのは、アメリカに対しての敵討ち。あだ討ちをしようっていうのがある。父親の代はアメリカに負けた。僕自身の個人的なあだ討ちとして、アメリカ人以上の事をしてやろう、アメリカ人を超えてやろうって。アメリカ人と同じものを食べ、アメリカ人と同じ服を着て、アメリカ人以上に英語の曲を覚え、バンジョーも練習した」

 

アメリカに対する憧れと、復讐の気持ちがマイクさんの根底にあった。

 

「実際にアメリカに行って、ビックリして刺激を受けたのは、アメリカの父親って何でもやるということ。偉そうにしてて、妻をしもべのように使うっていういわゆる日本の父親とはちょっと違って、皿洗い、子供のお迎えから、家も造るし、水漏れも直しちゃう。日本では水道は水道屋さん、電気は電気屋さんと分業しているけれど、アメリカの父親はなんでも自分でやってしまうんだ。最初は負けてられないって気持ちだったけど、そういうアメリカの文化を吸収していくなかで、僕はそっちの方がどんどん快適になってきたんだ」

 

マイクさんの日常にあったものを作るという行為と、アメリカの文化がうまく繋がっていった。

 

 

 

 

 

【インスピレーションと勘を頼りに マイクさん流UPCYCLE

 
 

千葉の自宅のリフォーム、山梨のログハウス作りから米作り、ギターで作ったランプなど、たえずものづくりをしているというマイクさん。大きいものから繊細なものまで、暮らしに必要なものから、作品と呼べるものまで。このインスピレーションはどこからくるのだろうか。

 

「どこからかアイディアが突然降ってくるんだ。服や車を選ぶとき、ハワイの住む家を決める時も、無心に行ったり来たりしてると向こうから呼んでくれるんだ。ものが僕を見つけてくれる フィフィ(口笛)って。今までずっとそうだった。その勘だけを頼りに生きているところもある。だから、ものづくりもそのインスピレーションが降ってきたらやらずにはいられない。次から次へとお告げがあるときは忙しくて大変なんだよね(笑)」

 

それは自身の父親から受け継いだアーティスト的なものづくりの精神。

そして日常的に必要なものを作ってしまうアメリカの父親像。

このふたつの父親がマイクさんのものづくりの要素なのだろう。

 

マイクさんは、自然体でUPCYCLEと言う考え方を体現している。UPCYCLEという言葉が生まれる以前から [マイク眞木はモノを大切に使いさらに形を変え使い続けるという魅力的な循環を生んでいる。

 

【マイク眞木】

 

 

 

1944427日東京都赤坂に生まれる。

1963年、モダン・フォーク・カルテットを結成。1966年、ソロ・デビュー曲「バラが咲いた」が日本のポピュラー音楽史に残る大ヒットを記録。その後<の~んびり行こうよ、俺たちは>のフレーズのCMソング「気楽にいこう」等で知られる。ハワイに6年間在住し、現地ラジオ番組でDJとして活躍、現在は千葉県南九十九里に在住。2006年には歌手活動40周年を迎えた。

 

 

 

 

【収録後記】

 

今回の取材は、マイク眞木さんが生まれ育ち、今でもお住まいになっている赤坂のご実家で行われました。昔ながらの一軒家でありながら、とてもモダンで一目でセンスの良さが伺える素敵なお家でした。打ち合わせ中、インタビュアー&カメラマンの福井さんの愛用カメラを見て「おー!すごいカメラだな、今どきフィルムなんて珍しいな」「最近フイルムで撮られる事が無いから、緊張するな」とおっしゃっていましたが、そんな不安を微塵も感じさせない素晴らしい写真が撮れたと思います。※一番最初と最後の写真がフイルムの写真です。インタビューの終わりに、マイクさんがおもむろに福井さんに「これ使ってないから良かったら使って」と古いフイルムカメラを差し出しました。そんなサプライズな事をサラッと出来てしまうマイクさんは、本当にカッコいい人だなと思いました。(スタッフ)

 

 

 

 

A.D.O. ( “THE DAY” Director、フリーランスの編集者・ライター・ディレクター )

2014/01/29
by up cycle

【暮らしがちょっとウレシくなる日常を】

インタビュー/写真 福井香菜子>(カメラ PENTAX 67

 

FEATURES】第6回目は、20135月に創刊した  "「かっこいい」ってなんだろう「豊かに生きる」ってなに? を本気で考えるライフスタイルマガジンTHE DAY」のディレクター、A.D.O.さんに登場していただきました!昨年発売した「THE  DAY 11月号のWinter Issue にて、アメリカ・バーモン州のバーリントンという街の特集の中でアップサイクルについて書かれていたため、現地に取材に行かれたというA.D.O.さんに、バーリントンに根付くアップサイクル、またご自身が創刊した雑誌「THE DAY」 のこだわりについて伺いました。(by スタッフ)

 

 

 

 

[THE DAY]という雑誌がある。コンビニでも買うことのできる手軽さ、でも単 なる大衆誌ではないこだわり。ファッション紙?のようだけれどアイテムがカタロ グのように並んでるわけではない。なんだか面白いことをしていそうなお兄さんた ちがラフにみんなでワイワイやっている感じ。この本を手がける A.D.O. さんは、大手雑誌のエディトリアルをやりながら、本のあり方やファッション誌について考えて来た。「モデルがコレクションを着て、 ショーに出て、というモードの世界も、ファッションの文化を動かしているひとつなんだけれど、自分にとってのファッションって身近でリアルなもの。 雑誌に載ってる服をそのまま着て‘おしゃれです’っていう考え方はちょっと大丈夫 かな?って思ってしまうし、もっと1人1人に合う服があるんじゃないかと思っ ています。男の子は特に、顔が良いとかスタイルが良いから服が似合うってわけ じゃない。やっぱり中身が大切かなあと。内面が豊かな人は、“なんかいい感じ”が外見に出てくるもの。自分自身もそういう男の子になりたいと思って生きているし、 そういう人達が街にもっと増えると良いなと思っています」そう語る通り[THE DAY]のファッションページは、例えばコートはダッフルか チェスターのみ。ニットはクルーネックでざっくり。決して服が主役ではなく、 着る人、着こなし方の個性が出るようなラインナップが並ぶ。

 

 

UPCYCLE との出会い BURLINGTON

photography ADO

[THE DAY]で、スノーボードブランド[BURTON]の本拠地があるバーモント州 のバーリントンという街に行った時に、出会った[UPCYCLE]という概念。26歳の若いカップルが始めたヴィンテージショップ。貨物のコンテナをぶち抜いた巨大な店内には、家具、アートピース、古着、ジュエリーやステーショナリーが小気味よく並んでいる。「この街の人たちには古い物を大切にする気風があってね」。彼らの口から耳慣れない言葉を聞いた。アップサイクル「今なりの価値観を加えて作り直すんだ」。リサイクルではなくアップサイク50年代の鉄道貨物で使われていたブリキの大きな缶を半分に切断し、棚板と合わせて本棚に。地元の彫刻家が自由に彫ったテーブルが、唯一無二のピースに生まれ変わる。この概念は20代、30代の若い世代に広がっていて、自転車づくりやデザイン、お店づくりなど至るところに散りばめられていた。彼らは積極的にポートランドやブルックリンに出かけ、遊ぶ。肌で感じたセンスを自分たちが住む街の空気でブレンドする。それがバーリントンを流れる血液になっていく。』([THE DAY]本誌より) 

「アメリカの大量生産、大量消費の裏で、若い世代が街を愛しながら、良い感 じに古いものと付き合い、自分たちによって価値を与えている。それが力が入り すぎてなくて、ファッショナブルで、地に足がついた形で自然な循環をしているんだ」

photography ADO

 

【日本での UPCYCLE

 

バーリントンの街で UPCYCLE を体験して来た A.D.O. さんに、日本の UPCYCLE について聞いてみた。「再利用、リサイクルという言葉同様に、UPCYCLE の考え方としては認知されているけれど、“どんくさい”“びんぼうくさい”というイメージ がまだあると思う。大切なのは、どんな手法で表現できるの か。UPCYCLE の考え方は世界共通で、素材もある。それをいい感じに するのはフィルター次第でその底上げが大事だと思います。作る人や、打ち出し て行く人たちが豊かになること。何も無いところからヒラメキが出てくるわけじゃない。心が動 いたものの蓄積だと思うから。それは、UPCYCLE だけの話だけじゃなくて、いろんな物事を発信していく上で必要な事だと思います。自 分にも常に言い聞かせてますね」

 

 

THE DAY をひとつの人格として考えること。コミュニティのちから。】

 

 

web やイベント、ブース出展など、[THE DAY]の活動は、誌面だけにとどまらな い。「“THE DAY ”という1人の人格が世の中とのコ ミュニケーションを考えていくって感じ。根っこにある想いは変わることなく、雑誌なら雑誌の、web なら web 、その“場”にもっとも最適なコミュニケーションを模索していきたいと思っています。日常があって、生活があって、 その中で何が豊かなのか。ものごとの価値が ちょっと違って見えるような気づきとか、ちょっと明日が楽しみになるとか。そうして暮らしていけることが一番のしあわせなんじゃない かって思います」これからは、地方とも関わってものづくりをしていきたいというA.D.O. さんが手がける THE DAY は、“こっちは楽しいよ”と 日々を1歩踏み出すワクワクをそっと教えてくれる。

 

 

A.D.O. ( “THE DAY” Director )

 

フリーランスの編集者・ライター・ディレクター、「THE DAYディレクターとして活動中。雑誌をはじめ、広告やカタログ、webなどのディレクションも手がける。また ミュージシャンとしてバンド SUNABA の Vo&G をつとめ 2012 年 1 月 16 日よりソロ活動を開始。 人生一度きり、の想いを掲げ、 自らのお尻を叩きながら前へ前へ。鹿児島出身目黒区在住。

 

THE DAY ホームページ

コラム「日々murmur

 
 
 

Sho Watanabe / 渡部 将(Cloveru代表、THE SHOW room、アーティスト)

2013/12/03
by up cycle

 なめんなって、パンク精神でやってます。】

 

FEATURES2回目は、自身のブランドを展開しながら絵を始め様々なアートを作り出すSho Watanabeさんです。今月からUP CYCLE MARKETにて、屋久島のSADAOYAさんのアートフレームと、Shoさんの絵のコラボレーション作品を額縁とセットで限定販売する事になりました。SADAOYAさんのアートフレームを初めて見た時、フレームにShoさんの絵が入っているイメージが自分の中で湧いて来ました。ご本人へすぐにお願いしたところ、当サイトをプロデュースするレーベル・Tuff Beats (tuff-beats.com )とのコラボレーションによって生まれた数々の作品の中から選りすぐりの作品を二点提供していただきました!常に周りをあっと驚かせるアイデアを提案し続けるSho Watanabeの頭の中を覗いてみましょう。by スタッフ)


Sho Watanabe × SADAOYA

【SADAOYA】アートフレーム×【Sho Watanabe】アート 1

【SADAOYA】アートフレーム×【Sho Watanabe】アート 2

 

                                                                                                                                                        (インタビュー/写真 福井香菜子)

 


【ものづくりとリアル】

 


絵描きでデザイナー、空間プロデューサーでもあり、アパレルブランドも手がけるShoさんの基地【The SHOW room】。横浜市青葉区の元々おすし屋さんだったという場所を自ら改装したこの空間は、ライフスタイルショップ兼オフィス兼アトリエ兼ギャラリー。Shoさんの表現の場だ。「お店としてopenしながらここで絵も描くしデザインもする。(Sho Watanabe)の(部屋)だから【SHOW room】なんだ。」と教えてくれた。

 

 

 


【やってることは「デザイン全般」】

 

 

「デザイナーって言葉が使われすぎて、言葉自体が安くなるのは嫌なんだけれど。絵を描いたりTシャツ作ったりロゴ考えたり、目に見えないもの、頭の中にあることを表現してお金を得てるから職業はデザイナーなのかな。」

 

高校卒業後から、デザイン事務所やアウトドアブランドで働くことでノウハウを学び、最初に立ち上げた【カラーデザイン】という会社では、Tシャツデザインなど、パソコンを使わずすべてアナログで絵を描いた。「マックのない時代の昔のデザイナーは自分で絵も描けなきゃならなかったでしょ。それとおなじで絵描くのも挿絵のイラスト描くのも全部自分でやっちゃう。」

 

 

 

 


【Shoさんの四葉のクローバー】

 

 

 

アパレルブランド【Cloveru】はClover Undergroundの略で四葉のクローバーのこと。Shoさんを形作っている四つの葉Music  surfin style Artを意味している。

 

「世界に入る、モードを調節することもできる音楽はとっても大事。絵を描くときはもちろん、サーフィンしてるときも必ず音はあって、無音は死と同じだと思う。音から物事が生まれると思ってる。いかに自分のスタイルでやれるかって考えてるなかで、自分で出来ることは全部やりたいなって。自分でできれば責任取れるし自分でケツ拭けるから。だから、営業をしない代わりに工場に行ってしくみを見に行く。そっちの方が勉強になるし、技術的なことも理解できるから。」

 

Shoさんの描く絵は、同じ人が描いたとは思えないほどバリエーションが豊かで、一点一点タッチも違う。

 

 

 

 

「なめんなって、パンク精神でやってます。(笑)みんなをおどろかせたい、びっくりさせたい。人が喜んでくれて、おもしろがってくれる人が多いと、もっと新しいことをしてやろう、とおもう。」

 

Shoさんのお話を聞いていると、「自分でやること」が」いかに自然であたりまえで、でもすごいことなのがわかってくる。自分でやること。できるものは自分で作ること。それが世界を楽しむ秘密かもしれないと思った。

 

 

 

 Sho Watanabe

 

 

 

 

1974年7月15日生神奈川県出身 ペン画1本だけで描くペン画 白黒をベースに広がる独自の世界観を表現する作品をはじめ、シルクスクリーンから油絵など、ドローイングを主としたアート性の高い作品を数多く手がける。広告やプロダクト、空間プロデュースと幅広い分野でのクリエイティブ活動に定評があるアーティストでありデザイナー。自身が手がけるアパレルブランド[Cloveru]は、16年目を迎えた根強いファンのいるアパレルブランド。

 

Cloveruホームページ

本間良二(スタイリスト、2-tacs代表etc.)

2013/12/03
by up cycle

【SIGN at Upcycle Market 】 

 

FEATURES3回目は、スタイリストとして第一線で活躍し自身のブランド<2-tacs>を展開しながら様々な表現活動をされている本間良二さんです。UPCYCLE MARKETの池尻大橋のショールームにて、このショールームでは初めての展示「SIGN展」を開催中(12/26まで)。ファッション、アート、小説と多才な活動を続ける本間良二の世界感を聞いてみました。by スタッフ)                                                                       

                                                                                                                                      (インタビュー/写真 福井香菜子)

 

 

 

 

 

 Upcycle Marketのショールームで個展が始まった本間良二さんを訪ねた。

 

本業はスタイリスト。

 

サインペインティングや、小説やコラムの執筆など、様々な活動をおこなっている。「今回はインドアの展示なので、いろいろ華奢なものが作れて楽しかったです」と、語るとおり展示はサインペインティングのほか、鉛筆画、ポラロイド、来場者が自由に押せるハンコといった繊細な作品も並んでいる。

 

「もともとアートはすごい好きですね。個展は、場所を持っている友達が多かったこともあり、声かけてもらって、そのときにおもしろいと思ったものを2011年まではよくやっていました。例えば、展示してあるお花をお客さんに選んでいただいて、その場でステンシルという手法でTシャツに転写する[枯花展](2006年)や、戦闘服という軍モノの背景をファッションという真逆の発想にリメイクした[The fuck army展](2009年)。とりあえず思いついたらすぐやる。でも、動いてから、あちゃーってなることもあります(笑)」

 


【サインペインティング】

 

 

 サンフランシスコで見た手描きの看板が、本間氏とサインペインティングの出会いだった。昨年はサンフランシスコのサインペインティング工房[New Bohemia Signs]を取材し、自ら写真と原稿を担当した。「現地での取材はかなり影響を受けましたし、勉強になりました。工房でおこなわれていたワークショップに参加している人達の中には、グラフィティライターだったり、ウェブのデザイナーの人もいて、別々のところから派生した文字たちが融合していて、その間口の広さに可能性を感じました。みんなもコンピューターから出力された文字に飽きていて、手描きの魅力にまた戻ってきてる、と」日本においても、そういう風潮は大いに感じられる。

 

自身のお店【The Fhont Shop】では、洋服の他にサインペインティングの塗料や筆も販売していて、ワークショップ(まだ一回目)もおこなっているそう。「サインペインターの人達の着ている普段着も、塗料がベッタリくっついちゃったりしているけど、とてもかっこ良くて文化を感じるし、ファッションだなとおもいます」

 

 

【ファッションからの広がり】

 

 

中学時代から大の服好きで、高校時代はスケーター、その後はスタイリストのアシスタントを経て20歳でスタイリストとして独立。

 

自身のブランドBrown by 2-tacsを舵取りしながら2008年に小説【ブラウン伯爵】を描き始める。当時、お店でBrown by 2-tacsの商品を買ったお客さんに【ブラウン伯爵】をセットで渡していた。

 

「その時期、洋服ってなんだろう?服の本質ってなんだろう?って考えていました。それは柄でもなく色でもなく、きっとその素材の糸が持つ情報なのでは?と思ったんです。それは暖かいとかラクだとかいう着心地の話で、本人にしかわからない情報。そこで、色は茶色のみに絞った服を作っていて、言いたい事は小説で言おうってことをやっていたんです」

 

服から始まった、この活動の広がりを本間氏自身どう感じているのだろうか。

 

「もともと文字や絵を描いたり、料理をしたり歌を唄ったりって、生活に組み込まれているもので、全然特別なものなんかじゃない。ミュージシャンだけが音楽やって良いって訳じゃなければ、それこそ洋服だってスタイリストやデザイナーだけのものじゃない。今は何でも分業化されているけれど、そういうのはあまりにももったいないと思う。サインペインティングのように、手で描く魅力は、どんどん上手になっていくことだったり、やることによって謎が解けていくこと。わからない事を手探りでやっていくことや、時間がかかる事って案外おもしろいんですよ。」

 

 

 ファッションのふところ】

 

 

 

 「服っていうのは、ファッションのほんの一部で、ファッションというのはいろんなものを内包する、とっても懐が深いものだと思います。常にフレッシュな印象を与えながら、アート、ミュージック、カルチャーも受け入れる、それこそ受け皿が広いもの。そういう意味では俺はいまファッションをやっていると言えるのかもしれません」

 

今回の作品の中に、来たお客さんが誰でも押す事ができるハンコがある。帰り際に押してみると、○のなかに[戦争反対]の文字が写った。

 

堅すぎず軽やかに意思表示が伝わる。

 

ハンコを押す楽しさとウキウキは、良二さんのいうファッションの魅力なのだろう。

 

 

 

【本間良二】

 

  • 1975年、東京生まれ。雑誌やブランドカタログ、ミュージシャン・俳優などをスタイリングの傍ら、1998年、古着の再生(リメイク)ブランド「2-tacs」を立ち上げる。2007年、東京・池尻に同ブランドのショップ「The Fhont Shop」をオープン。2008年、素材・茶色に焦点をあてたブランド「BROWN by 2-tacs」を立ち上げる。そのコレクションと毎シーズン連動する小説「ブラウン伯爵」を2-tacs文庫より創刊。ブランドメッセージを物語として発信する。またライフワークとして、古着や花などをモチーフに絵や立体作品を制作し不定期に個展を開催する。
 

Bubb (bubb vibrations代表)

2013/10/21
by up cycle

【落ちてるもの使われなくなったもの】を【拾って作り変える】から始まった。そこが物作りの原点。

 

FEATURES題一回目の職人さんはbubb vibrations代表Bubb(バブ)さんです。UPCYCLE MARKETを立ち上げるにあたって、一番最初に相談した方がBubbさんである。廃材を使ってオリジナルの家具を展開をして行きたいと相談した所、心良く力を貸していただけることとなり、Bubbさんの周りの強力な職人さん達の作品を展開して行く事になりました。今回はそんなBubbさんとは、どのような人物なのかご紹介させていただきます。朝霧高原での撮影、後日、東京でインタビューをしました。

                                                                                                             (インタビュー 福井香菜子)

 

野外フェスティバルでのオブジェや舞台などを制作し、最近は、被災地の古民家再生や、新潟妻有の大地の芸術祭出展などでも知られる空間工作人Bubbさん。

 

 

 

                                                        (写真は、FUJIROCKFESTIVAL'13)

 

 

古材や廃材、流木などを使った作品や空間は、FUJI ROCK FFESTIVAL 朝霧ジャム アースデイARTh campなど至る所で目にする事ができる。

 

インタビューの約束の日、新潟帰りだというBubbさんは自転車で元気に現れた。

 

今進行中の石巻市牡鹿半島大原浜でおこなわれている「古民家再生IBUKIプロジェクト」は、津波の被害に遭いながらも力強く残った古民家を、地元の人達が集まれる食堂機能付きのコミュニティーセンターにするというもの。外観のみ残された古民家に、そこに残された木材、廃材、蔵の外壁などを使って再生していく。写真を見せてもらいながら、Bubbさんのお話が始まった。

 

 

 

                                                    (写真は、古民家再生IBUKIプロジェクト)

 

 

「この古民家は1段高いところにあったということ、前に蔵があったお陰で波を分けたんだね。周りは全部流されてしまった。残された木材や廃材を使う事に関して、縁起とかそういう問題で使いたがらない人もいるけれど、使えるものは使う、というのが僕の考え方。」

 

むしろ、昔何かだったもの、人に大事に使われてきたもの、そのもの自体に歴史があるもののほうが安心して落ち着くように思う。使わなくなったもの、そのままでは廃棄されてしまうものを作り替えることによって元よりも商品価値が上がり、質も向上することを、【アップサイクル】【リアップ】という。

 

逆に、着なくなったTシャツを雑巾などにすることは、【ダウンサイクル】【リサイクル】。

 

 

                                                            

 

 Bubbさんが、古材や廃材、流木の魅力に気づき使い始めたきっかけはなんだったのだろうか。

 

「昔ニューヨークに住んでいた時、ユニオンスクエアってところでよくフリマをやってたんだけど、そこではリアップのものが結構売っていたから、アメリカでは昔からある考え方なんだよね。お金持ちの住宅街に行くと、沢山使えるものが落ちてるんだ。これは面白いと思って、そこで拾ったものを作り替えてそのフリマに出店したりしてたんだ。」

 

Bubbさんの【落ちてるもの 使われなくなったもの】を【拾って作り替える】サイクルが始まる。

 

「そんな中で、空間を作ってみないかっていう話がきて、金庫室を改装してクラブを作った。これも材料はほとんどひろったもの。だから、昔からこうなりたい!こうしたい!というより宝物と出会っちゃった、て感じかな。物作りも、人とのつながりでできてることだし」

 

お話を聞いてる中でも、Bubbさんは、ものがあるとすぐアイディアが出てくる。ヒラメキの人だなぁと感じる。

 

97年、朝霧高原の牧場の通称監督と出会い、Bubbさんの秘密基地ともいえる倉庫を構えた。まわりには改築や増築を重ねた元牛舎などカッコよくて楽しい建物が並ぶ。

 

 

 

                                                                                             

 

 

「夢は、自分なりの公園を作ること。ルールがあるのではなくモラルのある公園。キャンプもできて兄弟家族みんなが楽しいフリーのフィールド。人と人、物とが出会える空間」

 

 


 

 

朝霧の倉庫がある場所を見ると、その夢はきっと実現するんだろうと思える。物との出会いや人との出会いで、繋がり、流れていく先に自然とあるような気がする。

 

今でもBubbさんがプロデュースした空間や作品には、子供から大人まで様々な人々が集い、笑ったり叫んだり安らいだりしている。Bubbさんが長年やってきていることは、【アップサイクル】【リアップ】言葉にしたらそういうことなのかもしれない。でもその言葉達は、きっと活動して行く中で自然とついてきたもの。

 

「昔から、なぜかくる仕事は古民家ばかり」と笑うBubbさんは、物と人と出会いながら、楽しくて気持ちいいサイクルを体現していく。

 

 

                                                                   

 

撮影に行った朝霧の倉庫からは、富士山が目の前にそびえる。

 

私たちが伺った日にも富士山は、赤く染まっていた。